2018年3月10日

あの日から7年

口広花器 和田麻美子
コースター 山田脩二

東日本大震災から7年を迎えようとしています。

あの日は金曜日でした。お客様がお一人いらしておりました。

外で何やらサイレンのようなものが鳴り出し、「これって何の警報音でしたかね」と話していた矢先にゆらゆらと大きく揺れだしました。

今までに体験したことのない揺れです。
縦や横の揺れではなく、ゆっくりと回されているような感覚。
次第に揺れは大きくなり、立っていられず、座布団を抱えて部屋の中央でお客様としゃがんでしまいました。その間いくつものうつわが倒れたり、棚から落ち割れました。

階下にいる母と生後8か月の息子が心配でしたが、とても階段を降りてゆける状況ではありませんでした。揺れがおさまり、様子を見に行くと、息子を膝にのせ正座したままの母が「どうしちゃったのかね。何が起こったのかしら。」と不安な顔をしておりました。

お客様は市内の方で、少し様子をみられてからご帰宅されました。

ラジオ、テレビで東北地方が震源の地震であることがわかり、画面には津波の警報がずっとでていました。

仙台の施設で暮らしていた父とはしばらく連絡がとれず、かの地は長い間インフラが復旧しませんでした。
地元の店では物が品薄になり、余震が続きました。
計画停電があり、食事や入浴の時間を調整し蝋燭や懐中電灯で食卓を囲みました。
市内で除染を行なったとう報告が市のホームページに掲載されてくるようになり、不安がつのる日々でした。
そのような中にあって友人からの電話やメール、水や食料の差し入れは嬉しく、心の支えになりました。

これらを忘れないように。

2012年から毎年あしなが育英会東日本大地震・津波遺児への支援活動へ寄付をしてまいりましたが、今年は「認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね」の活動へ寄付をします。
https://tarachineiwaki.org

カテゴリー:店舗ニュース |  コメント (0) |  投稿者:兵藤 由香

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