2012年1月30日
「ささやかな日本発掘」 青柳瑞穂著 講談社文芸文庫
今年はじめて読んだ随筆で、なかなか面白かったので記します。
著者は仏文学者、詩人でもあり、美術評論家であり、骨董品収集家でもある。ルソーの「孤独な散歩者の夢想」の翻訳も手がけています。
彼が収集したものたちとの出会いのエピソードなどが紹介されています。
街の古道具屋で購入した掛軸が博物館ゆきの代物だったり、ある田舎の小川で洗うために浸け置きされていた石皿をおばあさんから譲っていただいたりなど、26篇が収められています。
その中の、やきものに関しての二篇から一部引用いたします。
「やきものの体温」より
イヌやネコや小鳥を愛するのは、楽しいことだろう。でも万一、むこうから愛されたとしたら、どんなに心苦しいことだろう。
むこうが生きものだけに、ひょっとしたら、そんな危険もなくはあるまい。その点、ヤキモノはどんなに愛してやっても、むこうから愛して来るようなことは先ず絶対にないから安心だ。(中略)
ヤキモノの美しさは、第一に、それが冷たく、非情なものであるゆえだと、私は強調したい。
人にこびたり、(ああ、私は動物のそれにゾッとするんですが、人間より利口だとか、愛情があるとか、そういう比較も聞きたくないんですが)人に秋波をおくったり、そういうマネをしないところに、この生命のないものの生命があるのではないだろうか。もっとも、ヤキモノでも、ごくごく悪質なのは、絶えずこれをやっているところをみれば、イヌやネコでも、ごくごく良質なのは、あんがいに無表情なのかも知れない。表情がたくさんだからといって、それだけ生きているという証拠にはならない。
非情だからといって、死んでいるわけではない。要は、生命力の強さ、弱さなのである。
「あたたかさ・やわらかさ・しずけさ」より
日本的な美しさに、高さや深さが欠けているわけではない。ただ、あたたかさ、やわらかさが、その美しさにヴェールを着せ、ほのかにさせているために、ともすれば実際の高さや深さの寸法がぼやけてくるのだ。
あの水蒸気が日本の山水草木に特質をあたえているように、あたたかさ、やわらかさは、日本の芸術に重要な作用をなしていると言っていいだろう。この、あたたかさ、やわらかさから、おのずと、閑雅な境地がひらける。たとえば、ここに一個の楽ちゃわんがある。それはただに形うつくしく、手ざわりやわらかくあるばかりでなく、しずかな茶わんでなければならない。たんに感覚的に美しいばかりでは最高のものとはいいがたく、しずけさ―ここにこそ真に日本的の深さはあるのである。
カテゴリー:本(工芸・うつわ) | コメント (0) | 投稿者:兵藤 由香
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