2017年2月7日
2015年の暮れに企画を思い立ち、2016年春から1日限りの写真展を日本各地で繰り広げてこられました。ゲリラ的とは言え、下見や準備は万全、その辺りは極めて山田脩二さん的であると思います。
2017年1月11日、昼の部は世田谷の用賀プロムナード、夜の部は浅草の商店街で行われました。その模様が山田脩二さんのサイト、達磨窯プロジェクト「脩」に掲載されましたので、ご覧ください。
▶達磨窯プロジェクト「脩」のサイト http://darumagama.com
ゾロ目の日の「一日」展、7回は、無論、無断・無許可・無償です。無事、終わってみれば限りなく「無益・無用の長物」展だった…と。ご本人は記していらっしゃいましたが、この行動力、パワー、熱意、見習いたいと思っています。こういう人でありたい。
現在、兵庫県西脇市岡之山美術館にて「山田脩二―日本村・日本旅・日本晴れ―」展が開催されています。
本展チラシ裏面より抜粋
山田脩二(1939年~)は、兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に生まれ、桑沢デザイン研究所に学び、グラフィックデザイナーを志して印刷工場の現場に身を投じた後、職業的カメラマンとして主に建築写真のジャンルで活躍しました。日本各地を旅して人々の生業と暮らしぶり、常滑などの焼きものの製造現場、都市と地域をカメラに収め、それらの仕事からなる集大成の写真集『山田脩二・日本村 1969-1979』(1979年、三省堂)は、戦後の高度成長によって新旧が激しく混じり合って変容する日本の姿が如実に映し出された貴重なドキュメントとして注目を浴びました。1982年以降は淡路島津井に移住して瓦師(カワラマン)となり、2007年南あわじ津井の瓦衆と《達磨窯プロジェクト「脩」》を立ち上げ、達磨窯を復興・筑窯して窯焼きを重ね、銀色に渋く光る肌と独特の風合いをみせる瓦・敷瓦の焼成を手がけ、淡路島の自然をはじめ、全国に点在する炭焼きの現場、日本の津々浦々の写真を撮り続けています。
本展は、山田脩二の代表作を含む淡路移住以降の写真の仕事を中心に紹介し、淡路の達磨窯との出会いが放つ独創的な山田瓦の仕事の宇宙、写真も瓦も焼いてその出来上がり、裏と表の“焼き具合”に、徹底的にこだわる山田脩二の人生の旅そのものの魅力に迫ります。建築家磯崎新設計の当館の周囲にある初期瓦のエイジングのさまも見どころです。
▶西脇市岡之山美術館のサイト http://www.nishiwaki-cs.or.jp
<かわら版関連記事>
2016年9月9日の、さ迷う「山田脩二・日本晴れ」展について書いたもの
→2016年10月4日のページへ
2010年出版の写真集「山田脩二 日本旅 1961-2010」について書いたもの
→2010年12月7日ページへ
山田脩二さんとの出会いについて書いたもの
→2010年5月7日ページへ
タグ:山田脩二
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投稿者:兵藤 由香
2016年10月4日
山田脩二さんが、今年の6月からゾロ目の一日限りの写真展を開催されている。
6月6日沖縄・コザ十字路、7月7日青森・津軽半島十三湖のスクールバス待合所、8月8日新潟・寺泊良寛堂と行脚。ご本人から「次は9月9日、福島県を南から北にさ迷い?流れる阿武隈の河口、亘理大橋の右岸、荒浜集落の”浪切地蔵堂”です」という筆書きの案内状が届いたならば、これは半ば脅迫状であり、行かない訳にはいきますまい。
こんな機会はなかなかないので、息子を連れて出かけました。
ご承知のとおり、東日本大震災後、常磐線は一部運行休止となっており、最寄駅の亘理駅へは仙台から向かう事になります。その仙台で宮城の酒を数種類調達(山田さんに会うのですから酒抜き、はありえません)し、常磐線に乗車します。電車好きの息子は、ボタンを押して開閉する扉に喜んでいました。
亘理駅へはこの写真展全てに参加されている同行のUさんと山田さんが車で迎えにきてくださることになり、それまで駅周辺をぐるっとしようと西口改札を出ます。先ず目に留まったのは「亘理駅の駅名由来」のプレート。
亘理という地名は、今から約1200年前に書かれた「続日本紀」の中に「日理」という表記で初めて登場します。日理郡がいつ置かれたのかは定かではありません。
日理を「互理」または「亘理」と表記するようになったのは、江戸時代中期以降と言われています。
「わたり」とは、大和民族が南西から東北へ進出していく道筋で、川の渡し場やその付近の土地に名付けた一般的な地名です。現在の亘理がその最北端で、これより北に「わたり」という地名は見あたりません。
慶長7年(1602)には、伊達政宗の従兄弟にあたる伊達成実(しげざね)の所領地となり、亘理伊達氏2万3千石の城下町として繁栄してきました。
この地名の由来を受けて、明治30年(1908)11月10日、常磐線が当地に開通した時、亘理駅が開業しました。
参考資料 郷土「わたり」創刊号
なーるほどー、と思って歩き始めると、東口側に大きなお城が見える。なんじゃあれは!足はすでにそちらに向かっていました。その名は悠里館。外観は天守閣を模した城郭風建築で中には町立図書館、郷土資料館、FM放送局あおぞら、亘理山元商工会が入っているそうな。
まもなくして颯爽と現れた山田さん。喜寿になられましたが、足取りの軽やかさは変わりません。7年振の再開で、息子とは初顔合わせです。
昼食に名物はらこ飯(炊いたご飯の上に鮭の身とイクラをのせたもの)をいただき、阿武隈川河口方面の土手近くに向かいました。
浪切地蔵堂がある荒浜地区は、東日本大震災での被害があり、津波も襲いました。未だ工事が続いています。
この地蔵堂の縁起がまた興味深いのです。案内板の内容をまとめました。
江戸時代後期に福島県安達郡岩代町小浜(現二本松市小浜)において「万人子守地蔵尊」として祀られていたこのお地蔵さま、大雨でここに流れ着き、「浪切地蔵尊」として祀られるようようになったそうです。
小浜の人々はもとより、伊達政宗の父輝宗も信仰するほど子どもの守護神として篤く信仰さていました。地蔵尊を失った小浜で疫病が蔓延した折、荒浜の人々が木像に刻まれていた記銘を頼りに小浜に送り届けて元のお堂に安置されると疫病が治まり、小浜の人々からたいそう感謝されたと伝わっているそうです。
その後、荒浜では石の地蔵尊を彫り、改めて浪切地蔵尊として祀り、海上の安全、地域の安全、子どもの健やかな成長を願う象徴となりました。隈崎の「浪切地蔵尊」は明神西の「阿武隈地蔵尊」(震災後移転)、当行寺の「正徳地蔵尊」と共に、荒浜三大地蔵として信仰され、夏祭りが行われていたそうで、地域の人々に親しまれていました。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による津波により甚大な被害を受け、地蔵堂の場所が復興事業のかさ上げ道路の用地となり存続の危機となりましたが、地元住民の切なる要望と東日本大震災の津波被害を伝えていくための遺産として現在地に移転した。
とあります。
今月10日は、岩手県山形村荷軽部の(有)谷地(やち)林業さんのご協力で「炭焼窯」での展示です。炭焼窯がずらりと連なっているそうですよ。
詳しくは、山田脩二さんの達磨窯プロジェクト「脩」のサイトをご覧ください。
http://darumagama.com/
<かわら版関連記事>
2010年出版の写真集「山田脩二 日本旅 1961-2010」について書いたもの
→2010年12月7日ページへ
山田脩二さんとの出会いについて書いたもの
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タグ:万人子守地蔵尊, 亘理町, 山田脩二, 浪切地蔵尊
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投稿者:兵藤 由香
2010年12月7日
©Shuji Yamada
あとがきより
”古希”に辿り着いてしまった。
素直にありがたく感謝しなければ……との思いと同時に、今時、人生七〇古来稀なりと祝い事を言っている世の中でもあるまい。つくづくと光陰矢の如しで、あっさり元気に七〇を超えてしまった。一つの区切りとして自ら古希の祝いをすることに決め、写真集『山田脩二 日本旅1961-2010』の出版に辿り着いた。
(中略)
光陰矢の如しとは言え、今しばらく日々の身の丈に合った暮らしの風景の中で、暮れなずんでゆく光と影に感動し、迷走しながら少々、格好よく風来坊の酩酊の旅を続けていたい、今日この頃です。
1979年に出版された「山田脩二 日本村1969-1979」(三省堂)は絶版で、入手困難な写真集の一つとなっています。山田さんに出会ってからこの写真集を観てみたいと思い、ずっと古本を探しましたが、8万円ぐらいしていて、とても買えず、都内の図書館で借りたのでした。全てモノクロで、黒の強い写真。日本の津々浦々が写っています。
「日本村」から約30年、この本が出版されました。50年間のこの国の風景、とても面白いです。写真を観て、都市は昔も今も、相変わらずごちゃごちゃしているな、と思い知らされます。多くは力強い風景写真ですが、木陰で思い思いにくつろいでいる少年少女の写真に和まされたり、笑える看板や建物写真を見つけ、クスッとしてしまいます。編集を担当された大崎紀夫さんと写真家の篠山紀信さんの対談も興味深いです。
篠山紀信さん曰く、「この50年間の写真はすごいですよ。何かハッとさせられましたよ。『あっ、写真ってこういうものだったんだ』って。画面としても、すごくちゃんとしていて、うまいんだよ。ピチッとしてるの。普段は酔っ払った照れ症のふりして、実はやることは、すごくしっかりしているんだよ」(巻末の対談より)
ご興味のある方はこちらもチェックしてみてください。
・今日の平凡社
のサイトに中身の写真が数枚載っています。
・紀伊國屋書店の書評空間のサイトでの、
文筆家・大竹昭子さんの書評。
タグ:山田脩二, 日本旅, 日本村
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投稿者:兵藤 由香
2010年5月7日
本の紹介というより、初めて山田脩二さんに会った日の事を主に書きます。
山田脩二さんという人物、生き方のスタイルに惹かれる私ですが、失礼ながら申し上げると、第一印象は「何この酔っぱらいのおっさん!」でした。
出会いは2002年、東京から三宮へ向う夜行バスの中。
それまで3列シートの夜行バスしか乗ったことがなかったので、夜行バスは全て3列シートだと思い込んでいたのですが、そのバスは4列シートの二階建て。幸い乗った時に隣の席は空席で、もうじき発車時刻だし、これなら横になって寝られる、と胸をなでおろしていたのです。
その矢先、男性が一人入り口に現れ、運転手さんに座席か何か、たずねているのです。
うっわー、凄いお酒臭ーい。それも日本酒臭。まさか、あんな人がこの隣にこないよね、もしそうだとしても、運転手さんが気を利かせて、うら若き女性の隣にこの酔っぱらいを座らせる訳がないよね、神様仏様どうか隣に来ませんように。千鳥足が近づいてくる、止まる。「あ、すいませんね、窓側です。よかったらあんた窓側行ってもらってもかまわないけど。」冗談じゃあない、隣だっていうだけで身の危険すら感じているのに、窓側に追いやられたら何されるかわからない…。「ここでいいです。奥へどうぞ。」
「酒臭いでしょ。すいませんね。」既に一階部分は日本酒臭で満たされてます!と心の中でつぶやく。あー、これじゃ今夜は眠れないよ〜。バスが走り出すと、隣のおじさんが何やら話しかけてくる。酔っている上に、ぼそぼそ話すので、何を言っているのかはっきり聞き取ることができないので、「ええ」とか「そうですね」と無難にそっけなく答えていたら、「あんた、可愛くないね。」とのたまう。おーっと、そうくるか〜?返事しているだけでも相手しているのに。薄暗い中で見える風貌は、坊主頭に仙人のようなあごひげ。どう見ても普通のサラリーマンではないな、かといって芸人さん?見たことないな。ひょっとすると…、行き先は神戸三宮でしょ、も、も、もしかしてその筋の人かも…。そう思うようになると、ちょっと怖くなり、態度は180度方向転換。まともに話しを聞いたほうが身の為だと、愛想のよい返事をし、こちらも質問などしてしまう。聞けば、敬愛していた先輩の法要が東京であって、その帰りとの事。「そんなに仕事してませんが、プロのカメラマンだったんです。で、今は瓦つくってるカワラマンね。」なんだそれは?これは眉唾。カメラマンとか言えば、女の子(当時既に女の子とは言えない年齢でした)が「本当ですか〜♡」とでも言うと思っているのかしら。半信半疑のまま、そんなに悪そうな人でもなさそうだと思うようになり、起きていることも出来ず寝ましたが、無事三宮へ到着。
大きいリュックサックを背負った私に、「あんた、これからどうすんの?」とおじさん。神戸から横浜までの帆船トレーニングに参加予定だった私は、港での集合時間まで荷物を置いて散歩でもしようと当初から予定していたので、そう伝えると。「なら、案内するわ。」辞退しようとも一瞬思ったのですが、街なかだし、明るいし、どうこうされる事もないだろうと判断した私は、それも面白いかもしれない、と考えたのでした。この話しを聞いた友人たちの多くは、「普通そこでついて行かないよね。」と言います。
ロッカーに荷物を置いて、近くの喫茶店で朝食を食べ、見てみたいと思っていた神戸モスクまで道案内していただきました。「この先に相楽園という庭園があって、丁度今、瓦の展示してるんですよ。」行ってみると、まだ開園時間前で、窓口の女性たちがお掃除をされています。「あら先生、今日はまた早くから何ですの?」「あら先生、おはようございます。」あちこちから声がかかる。言っていた事は本当だったんだ!ごめんなさい山田さん、この瞬間まで信じていませんでした。
そんなきっかけのご縁で、お付き合いが続いています。
さて本題のこの本、タイトルからして、駄洒落?と思わせる本ですが、山田脩二さんの人となりがとてもよく表れている一冊です。
ご興味を持たれた方は是非ご一読ください。
こちらは、山田脩二さんがカメラマンであることを証明する一冊。
タグ:カワラマン, 山田脩二
カテゴリー:山田脩二さん |
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投稿者:兵藤 由香
2009年10月20日
上記写真の瓦の皿を制作している、山田脩二さんが店を訪れて下さいました。
18日の午後2時近く、「昨日から東京に来ていて、今から行くから。」と電話があり、慌てる私。何故かと言うと、山田さんにお茶を出す訳にはいかないのです(山田さんをご存知の方々はここで大きく頷くはず)。お酒の支度をしなくては!しかし、お店も開けているし買い物にも行けない、あるものでなんとかせねば。何があったっけ。あいにく日本酒もワインもなく、唯一おすすめ出来る木内酒造の米焼酎「木内」が一本。肴は、竹内缶詰の牡蠣と、戴きもののわさび漬けに蓮と茗荷の自家製ピクルスぐらいしかありません。ありあわせで申し訳ありませんでしたが、これで呑んでいただきました。肴に関してはノーコメントでしたが…、米焼酎は「これ旨いね。」とご満足いただけた様です。
タグ:山田脩二, 木内酒造, 瓦の皿, 竹内缶詰, 米焼酎
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投稿者:兵藤 由香