2017年2月28日
ご報告
昨年の5月22日のかわら版に書きましたとおり、あしなが育英会の東日本大震災・津波遺児への支援活動に5,000円を寄付しました。受領書が届きましたので、報告いたします。
まえかけを作り続けて20年!
続く、続いている、続けるとは、それ自体に力のある事だと思います。
坂田さんと出会ったきっかけは、O先輩。先輩と坂田さんは幼なじみなのです。
初めてうかがった展覧会で、ラオスの布をつかったまえかけに一目惚れしました。
坂田さんのスタンスは、
美しいまえかけをめざしつつも、
毎日使うものだから, あくまでも機能的であること。
それが私の基本姿勢です。
まえかけはシンプルな単色のものから、色を組合わせたもの、時にはハギレをつかった小物、カシミヤショールなどが個展会場にお目見えします。
素材選び、配色の妙は「坂田流」と命名したいです。
20周年の記念の個展が大阪から始まります。
坂田真由美 20周年のまえかけ展
2017年2月18日(土)〜2月26日(日)
11:00〜18:00 月曜定休
ミズタマ舎 https://www.facebook.com/mizutamasya
2015年の暮れに企画を思い立ち、2016年春から1日限りの写真展を日本各地で繰り広げてこられました。ゲリラ的とは言え、下見や準備は万全、その辺りは極めて山田脩二さん的であると思います。
2017年1月11日、昼の部は世田谷の用賀プロムナード、夜の部は浅草の商店街で行われました。その模様が山田脩二さんのサイト、達磨窯プロジェクト「脩」に掲載されましたので、ご覧ください。
▶達磨窯プロジェクト「脩」のサイト http://darumagama.com
ゾロ目の日の「一日」展、7回は、無論、無断・無許可・無償です。無事、終わってみれば限りなく「無益・無用の長物」展だった…と。ご本人は記していらっしゃいましたが、この行動力、パワー、熱意、見習いたいと思っています。こういう人でありたい。
現在、兵庫県西脇市岡之山美術館にて「山田脩二―日本村・日本旅・日本晴れ―」展が開催されています。
本展チラシ裏面より抜粋
山田脩二(1939年~)は、兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に生まれ、桑沢デザイン研究所に学び、グラフィックデザイナーを志して印刷工場の現場に身を投じた後、職業的カメラマンとして主に建築写真のジャンルで活躍しました。日本各地を旅して人々の生業と暮らしぶり、常滑などの焼きものの製造現場、都市と地域をカメラに収め、それらの仕事からなる集大成の写真集『山田脩二・日本村 1969-1979』(1979年、三省堂)は、戦後の高度成長によって新旧が激しく混じり合って変容する日本の姿が如実に映し出された貴重なドキュメントとして注目を浴びました。1982年以降は淡路島津井に移住して瓦師(カワラマン)となり、2007年南あわじ津井の瓦衆と《達磨窯プロジェクト「脩」》を立ち上げ、達磨窯を復興・筑窯して窯焼きを重ね、銀色に渋く光る肌と独特の風合いをみせる瓦・敷瓦の焼成を手がけ、淡路島の自然をはじめ、全国に点在する炭焼きの現場、日本の津々浦々の写真を撮り続けています。
本展は、山田脩二の代表作を含む淡路移住以降の写真の仕事を中心に紹介し、淡路の達磨窯との出会いが放つ独創的な山田瓦の仕事の宇宙、写真も瓦も焼いてその出来上がり、裏と表の“焼き具合”に、徹底的にこだわる山田脩二の人生の旅そのものの魅力に迫ります。建築家磯崎新設計の当館の周囲にある初期瓦のエイジングのさまも見どころです。
▶西脇市岡之山美術館のサイト http://www.nishiwaki-cs.or.jp
<かわら版関連記事>
2016年9月9日の、さ迷う「山田脩二・日本晴れ」展について書いたもの
→2016年10月4日のページへ
2010年出版の写真集「山田脩二 日本旅 1961-2010」について書いたもの
→2010年12月7日ページへ
山田脩二さんとの出会いについて書いたもの
→2010年5月7日ページへ
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オバケダイガクのサイトより転載
obakedaigaku.net