2013年3月10日
「美の猟犬」 安宅コレクション余聞 伊藤郁太郎著 日本経済新聞社
大阪市立東洋陶磁美術館館長でもある著者がラジオ番組(2012年3月までNHKラジオ第一で放送されていた「ラジオビタミン」)に出演された。
放送は、東日本大震災の東電福島第一原発の事故後だった。彼は、「想定外という言葉は嫌いです。」「人間の想像力はそんなものではない。」というような事をおっしゃったと記憶している。80歳とは思えぬ語り口に魅了され、著書を読んでみたいと思ったのです。
東北大学文学部美学美術史学科卒業後に安宅産業株式会社に入社したいきさつや、安宅氏の横顔や氏とのエピソードが興味深いです。安宅コレクションの収集裏話も。
美、人、に対する筋がピシッと感じられ、魅力的な方だと感じました。
以下引用
p234-235
「美は何ものにも仕えない」、という大原則はあるにしても、やっぱり人間、生きている生が作ったものが芸術であって、自然の美というのもあるけれども、芸術の美というのはあくまで人間が作り出したものだから、人間精神に何か及ぼすところがなければ美術の存在価値はないですよ。それは平らな言葉で言うと「人生との関わり」だろうと僕は思っている。
(中略)
人間生きているわけだし、生きている限り、やっぱりある程度意味を感じないと生きがいがないから、少しでも心の琴線に触れるものがあれば、人というのは必ず魅せられる。そういう信念は僕にはあります。
p247
単なる独善やひとりよがりは許されない。そこに李朝陶磁の鑑賞が、人格的なものに深くかかわってくる所以がある。心貧しく卑しい人は貧しく卑しい物しか取り上げられず、目も心も未熟な人は、外面的な美しさのみに目がうばわれる。それに対して、心豊かで自由な境地に飛翔できる人は、何よりも内面的な美しさを求め、心の糧となり慰めとなるものを見出していく。その人が何をどのように評価するかによって、その人の見識はもとより、人格的なものまであらわれてくるところに、李朝陶磁-高麗茶碗までふくめて-の面白さとおそろしさがあると言えようか。